事の発端は、珍しくヒカルとアキラが同じイベントに参加する事になったことで起きたことだった。
仕事が終わり、これまた珍しく2人ともこの後の予定が入っていなかったこともあり、アキラの碁会所で打つことになり、2人で一緒に帰っているときだったのだ。
ヒカルがふと輸入食品を扱う店を見つけ、足を止めたのが始まりだ。
探しているものがあるからと、ヒカルが店内に入り、当然の流れでアキラもヒカルの後に続いた。
ヒカルが、調味料のそろった棚で「あった!」と声を上げ、嬉しそうに並んでいた小さなビンを棚から出したのだ。
アキラにはヒカルが持っている物が、調味料か何かだとしかわからない。
そして、ヒカルがそれを探していた事だけは分かっていた。
「お母さんに頼まれていたのか?」
「え? いいや、俺が探してたヤツだぜ。丁度切れちゃってさ」
「君が?」
半年前からヒカルは1人暮らしを始めた。
そのことを思い出したアキラは、ヒカルが持っているビンを覗き込む。
そこには「サフラン」と明記してあった。
いったいそれが何なのかは知らなくても、少なくともコショウや塩ではないことだけはわかる。
「それ、塩かコショウじゃないと思うけど?」
「は?」
ヒカルが間違えて調味料を取ったのかと思ったアキラの親切心だったが、ヒカルはいったアキラが何を言いたいのかが分からない。
「これ、スパイスの一種だぜ。パエリアやインド料理のサフランライスなんか作る時に使うもんなんだけど・・・・・・」
「・・・・・・まさか、君、パエリアとか作れるの?」
「・・・・・・・・・」
冷たい風が2人の間を流れる。
「あ、当たり前だろ! 作れないような食いもんに必要な香辛料を誰が買うんだよ!」
「・・・・・・・・・」
少し顔を赤くして怒るヒカルに、アキラは何も言えない。
「わかった! 今日は碁会所に行くのはヤメだ!」
「し、進藤!」
ヒカルはすごい形相で買い物用の籠をひっつむと、アキラに押し付けた。
突然のことに、とっさにアキラは籠を受け取ってしまう。
「このまま俺んちに行って、俺の作った夕食を食え! いいか、この後、一言でもくだらねぇことを言ったら絞めるからな!」
付き合いの長くなった為に分かるようになったヒカルの態度から、自分がかなりまずいことを言ってしまったと理解したアキラは、間違っても言ってはいけない禁句を頭にうかべてはみたものの、言いたいことを飲み込んで、ヒカルの後に従う。
次々と手馴れた様子で、アキラの持っている籠に品物が入っていく。
ちゃんと見るべきポイントが分かっているようで、賞味期限をチェックしたり、商品の状態をチェックしている。
そんなヒカルを関心したようにアキラは見ていた。
ヒカルが会計を済ませ、商品を手提げのビニールに詰め込むと、やはり荷物はアキラに差し出された。
当然無言で受け取る。
ピリピリとしたヒカルの雰囲気から、アキラは一言もしゃべることはない。
買い物を済ませ、ヒカルの部屋に行く為に無言のまま電車にのること40分。
駅から5分ほど歩いた4階建てのあまり部屋数のないマンションの前に着いた。
中に入り、ヒカルはセキュリティーロックを外す。
入り口で不審者を寄せ付けないようになっているマンションだ。
無言のままヒカルは自分の部屋の鍵を出し、ドアをあけた。
ヒカルはアキラに振り返ると、持っていた荷物を受け取る。
「入れよ」
ヒカルに促され、アキラは初めてヒカルの部屋に入った。
ヒカルが1人暮らしする為に引越した時も、引越しは業者に任せたとかで、手伝う事はなかったのだ。
それの1人暮らしの女性の部屋にお邪魔するわけにはいかないので、当然、碁を打つのはアキラのいる碁会所になってしまう。
今までヒカルがどんな生活をしているのか心配していたアキラだったが、そんな心配はヒカルの部屋を見て、一瞬で吹き飛んでしまった。
部屋は2DK。
1つは寝室になっているようで、開いたドアの向こうにベッドが微かに見えた。
もう1つはキッチンと一緒になった居間みたいなもので、使いやすそうなシステムキッチンだった。
部屋は整理されて、居心地のよさそうなインテリアが邪魔にならない程度に置かれている。
「いまコーヒーを入れるからその辺に座れ」
まだ怒っているらしいヒカルは、そう言いながらコーヒーメーカーを出し、豆を挽き出した。
「わざわざ豆からいれるのか?」
「どうせ飲むなら少しぐらい手間でも美味い方がいいだろ」
「ま、まぁ・・・」
どうやらヒカルは美味しい物を食べる為なら、多少の手間は厭わない方らしい。
なんとも言えないコーヒーの香りが漂ってきて、アキラはキッチンにいるヒカルのところへと行った。
「なっ!」
アキラが驚くのは無理もない。
キッチンに入ったとたん、驚く光景がアキラの目に入った。
びっちりと並べられたスパイスのビン、様々なキッチングッズが使いやすいように並べられている。
「これ、全部君が使っているの?」
「・・・・本当に絞められたいか? どうせ自分で作って自分で食べるんだ。少しでもレパートリーがあって美味しい方がいいだろ!」
「そりゃ・・・」
両親が海外へ行ってなかなか帰ってこない為、アキラも料理はする。
しかし、どちらかと言えば、少量で食べられればいいと思いがちなアキラだったので、寿司などで済ませることも多かった。
器用なアキラだったが、料理の腕と言えばお世辞にも上手だとは言いがたい。
「君も女の子らしい面があ・・・・痛っ!」
関心してつい口から滑ってしまったセリフを言い終わる前に、ヒカルの手刀がアキラの頭の上に炸裂した。
「料理には、女だから、男だからとかは関係ねぇよ。レストランのシェフは女か? 自分が美味いものが食べたきゃ、みんなそれなりに上手くなるもんなんだよ。俺は料理だけはとことん拘る方だったから、こんなふうに揃えているだけだ」
アキラは痛む頭をさすりながら、正論を話すヒカルが今までとは違う存在に見えた。
これで本当に作った料理が美味しかったら、アキラはヒカルへの評価を改めなければならないだろう。
「何か手伝おうか?」
「馬鹿言え、お前が手伝ったら何の為にわざわざ家まで呼んで食わせる意味があるんだよ!」
「少し手持ちぶたさなんだ」
「いいからそこでコーヒーでも飲んで大人しくしてろ」
ヒカルに渡されたコクのある香り深いコーヒーを頂きながら、アキラはずっと手際よく料理していくヒカルから目が話せなかった。
「出来上がり。ほら、そっち持っていけよ」
キッチンのテーブルに湯気を立ち上らせ、美味しそうな香りを漂わせるパエリアと、彩りのいいサラダ。
ミネストローネのスープまで添えられている。
テレビの前にあったガラステーブルに食事を並べ、ヒカルと向き合って座る。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
たぶん、ヒカルの母親がそう言うのだろう。
ヒカルのイメージからすると少し違う感じの返事がアキラに返ってくる。
どう見ても美味しそうなパエリアを口に運ぶ。
「・・・・・・すごく美味しい」
「サラダも食べてみろよ。ヒカル特製のドレッシングが美味いぜ」
「君はドレッシングまで作るのか?」
「あたりまえだろ、俺はマヨネーズまで自家製だぜ?」
今までアキラに尊敬の眼差しで見られたことのなかったヒカルは、手放しで褒められ機嫌が良くなってくる。
「僕は食べられればいいと思う方だから、こんなふうに料理に手間ヒマをかけるなんて考えもつかなかったよ」
「外食もいいけど、やっぱさ、微妙な味の好みってあるじゃん。自分で料理すればそういったことも好きなように出来るし、量だって体調に合わせて多くしたり少なく作ることも出来る。そういった点でも自分で作った方がいいと思わねぇ?」
「そうだね」
「自分が食べるのが好きだと、欲も出てくるんだよなぁ〜。外食しててもさ。これならこうアレンジしたらもっと美味しくなるんじゃないかと思うと、もう自分で試したくてたまんなくなんの」
楽しそうに話すヒカルに、アキラもつい微笑んでしまう。
そんなアキラの微笑みに、ヒカルは嬉しくなって、もっと饒舌になっていく。
美味しい食事を頂き、アキラはお礼に洗い物を引き受けた。
今度はアキラが洗い物をしているところをヒカルが見とれる。
サラサラな髪が、アキラが動くたびに揺れていた。
もともとアキラは器用な男なのだ。
洗い物も手早く丁寧にしている。
皿の泡を流しているアキラの手を、ヒカルはうっとりと見てた。
指には碁を打ち続けた為に出来た小さなタコがあるものの、全体を見れば男では珍しく繊細そうな手をしている。
アキラの体で一番好きな場所だ。
髪型は珍しいものの容姿も文句なしに整っているおかげで違和感は感じさせない。
最近やはり父親の遺伝を色濃く継いでいるらしく、体格もしっかりしてきた。
昔は女顔していたものだが、今では男臭く感じさせるほどだ。
ヒカルと言えば、もうとっくに成人したというのに、未だに女性らしい丸みにはほど遠い。
思春期の成長期に佐為を失ったことが原因で、体重が激減してからはいくら食べてもまったく太ることがなく、かなり痩せている。
しかも女性にしては少し身長がある為、今でもヒカルが女性だと気付く人は少ない。
言葉使いもなかなか直らず、どこから見ても少し華奢な印象がある男性に見えるのだ。
そのおかげで、ヒカルはアキラに恋心を抱いていたが、言葉にすることもないまま今に至っている。
「料理が上手くても、嫁に貰ってくれるような物好きはいねぇから、自分の為だけに料理の腕が良くなっているのかと思うと、少し虚しい気もするよな・・・・」
洗い物を終わらせ布巾で手を拭いているアキラに向かって、ヒカルは聞こえないような小さな声で呟く。
「終わったよ」
「おっ、サンキュ! んじゃ打とうぜ!」
そう答えて基盤を取りに立つが、するりとアキラの手がヒカルの体に巻きついた。
ヒカルを後ろからアキラが抱きしめている。
「と、塔矢?」
慌てるヒカルの左耳にアキラの息がかかり、瞬間的にヒカルの顔が赤くなった。
「僕がその物好きだって気付いてないの?」
「なっ、何言って・・・・って、聞こえてたのかよ!」
「ああ」
「も、物好きって・・・・えっと、それってつまり・・・・・」
後ろからしっかりとアキラの腕の中に閉じ込められているヒカルは、アキラの表情が見たくてじたばたと暴れる。
「君が料理が下手でもかまわないって思っていたんだけど、これほど上手なら結婚しても食事が楽しみだね」
「結婚!?」
「そう。好きだよ。進藤」
聞いたことも無いような艶っぽい甘い囁く。
アキラはヒカルの耳に舌をそっと這わせた。
「ひあっ!」
飛び上がるように反応するヒカルに、アキラは嬉しそうに微笑んで、自分の腕にヒカルを閉じ込めたまま、じりじりと寝室へと進んでいく。
それに気付いたヒカルは必死になって暴れるが、男女の力の差は大きい。
いつの間にか寝室へと連れ込まれていた。
「最近は出来ちゃった結婚とか多くて良かったよ。芸能人とかにも多いから、世間の認識も薄くなったしね」
何を言っているのか聞きたくても、ヒカルはパニックを起していて言葉が浮かばない。
あわあわしているヒカルをとうとうベッドの上に下ろすと、アキラは嬉しそうに笑った。
「出来ちゃったらすぐに結婚出来るから、育児はちゃんと僕も手伝うし」
「な、何言って、お前!」
「僕がその物好きなんだと君に証明しようと思って、進藤、愛しているよ・・・・・」
「バッ・・・・んんっ!」
抵抗する間もなく口をふさがれ、ヒカルは相手に文句も言えなくなってしまった。
あとは、2人だけの世界・・・・・・・・・・。
END
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